EOEIC 有名人の英語ライフ!PART 1
■ヴァイオリンとともに生まれ育った
音楽家の両親や祖父の下に生まれましたので、いつも自然に音楽のあふれている環境に囲まれていました。

生まれたばかりの私に会いに来た祖父は、まず枕元に一番小さいサイズのヴァイオリンを置いたそうです。そして顔を見るよりも先に、手を見て言った一言が「よかった、安心した」(笑)。長さがそろっていてバランスの取れた指というのがヴァイオリニストには理想的なのです。
祖父はヴァイオリン指導者として、国内外で活躍されているたくさんのヴァイオリニストを指導してきました。その最後の取り組みとして、まったく初心の幼児に、ヴァイオリンを勉強させるのではなく、おもちゃで遊ぶ感覚の延長で触れさせたらどんな風に育つのかということに関心を持っていて、私がよい実験台だったのです(笑)
そんな具合に育ったので、小さい頃の私は誰でもヴァイオリンを弾くのが当然だと思っていました。幼稚園に入って初めてヴァイオリンを弾かない人がいるのだと気付いたぐらいです(笑)。今暮らしているイタリアの方々にこのような話をすると、よく「ヴァイオリンとともに生まれてきたのね」なんて言われます。
■ニューヨークへの憧れ
1987~88年にかけて、アメリカと当時のソ連から若くて優れたヴァイオリニストたちが彗星のごとく現れ話題となっていました。幸運にも、私は来日公演で彼らの演奏を間近に聞くことができ、そのエネルギーというか、キラキラ輝くオーラのようなものを感じて、子供ながらにすごく感激し、刺激を受けたのです。
「私もあんなふうになりたい! アメリカで彼らが勉強した先生の下で私も勉強したい!」と熱望するようになりました。心が震えるような体験をして、ニューヨーク(以下NY)に行きたいと思い始めたら、もうどうしようもなくなってしまったのです。言い出したら聞かない性格ですから、毎日のように「NYに行く、行く」と言っていました(笑)。
当初、父は義務教育が終わるまでと反対していました。しかし、スポーツ選手もそうだと思いますが、この年頃は非常に吸収力が早く、1年というのはすごく貴重なものです。一日でも無駄にしないように、また後で後悔しないようにと、母が父を説得してくれたのです。
■NYへ、そして焦燥
こうしてNY留学が実現し、ジュリアード音楽院のプレカレッジという、音楽を学ぶ子供たちのための学校に入学しました。また音楽以外の教育を受けるために、プロフェッショナル・チルドレンズ・スクールという中学校にも通い始めました。ここは芸術やスポーツなどの分野で才能のある子供たちが集まっている学校で、あの『ホーム・アローン』で主演したマコレー・カルキンが在学していたところです。
こんな環境なので、年が若くても周りには活躍している方がいっぱいいましたから、私も子供ながらに焦りがあって、早くデビューしたいなんて思っていました。まだ若かったことも手伝って、「私はヴァイオリンを勉強するためにアメリカに来たのだから、それに専念してほかの勉強に時間を費やすつもりはありません」なんて先生に言ったりしたほどです(笑)。
でも、先生から「今のうちにしっかり英語を身に付けておくことが、今後あなたがヴァイオリニストとしてやっていく上でも非常に貴重なものになるはずだから、きちんと身に付けて、歴史や数学なども勉強しなさい。あとできっと分かるはずです」と説得され、最終的には納得しました。

■自分で解釈し、自分の意見を持つ
それからは本当に英語を勉強しましたね。なにしろ数学や化学の授業も、当然ですがみんな英語ですから、できないと話にならないのです。日常的な会話だけでなく、語学を勉強するという姿勢も自然と叩き込まれましたので、文法などもきっちりと学ぶことができ、後にはシェークスピアの作品を英語で読む機会にも触れました。
先生は厳しかったですけれど、勉強の楽しさをすごく教えてもらいました。アメリカの教育はただ知識を詰め込んで、○×方式で教えていくのではなく、どんな教科でもエッセイを書くことを求めます。自分の意見を書かないとパスできませんので、課題について探究して自分なりに解釈できていないといけません。
アメリカでの授業は受身ではなく、ある程度先生が教えたら、その後は自分で解釈して自分なりの意見を持つことが尊重されるということです。今思い返しても、アメリカの学生時代は、本当にヴァイオリンの練習とエッセイばかりでしたね。
■学生時代はドラマチック
学校の授業だけでなく、受験というハードルもありました。ジュリアード学院の受験では、ヴァイオリンがどんなにうまくても、英語力が足りないために合格できないという方を目の当たりにしてきました。ですから、英語力のせいで落ちたらたまらないと思って必死に勉強しました。音楽だけでなく、常に英語という試練がワンセットになっていたのです。
さすがに思春期ですから、もっとヴァイオリンに時間を費やしたいとか、いろいろ葛藤がありました。ここで励みになったのがアメリカ人の生きることに対する考え方です。彼らには、自分で決めて始めたことは、エンジョイしながら最後までやり通すという美学があるのです。確かに難しい試練がたくさんありましたが、自分で決心した道ですから、なんとか乗り越えていきました。
こんな風に、学生時代は本当にドラマチックでした。
■NYは常にコンペティション
学校の勉強や受験でも英語は必要でしたが、生きていく上で当然英語は不可欠なものでした。NYはいろいろな国の人が集まっていて、常にコンペティションです。特にジュリアードには音楽家として世界一になりたいという人たちが各国から集まっていました。
時には理解しがたい態度や行動を取る人にも出会います。でもなんとか英語でコミュニケーションを取ってみると、「ああ、彼らの国や文化背景はこうだから、こんな行動に出るんだな」ということが理解できて、それからはあまり気にせずに付き合っていけるようになれました。
それに、外国ではどこでもそうだと思いますが、特にNYのような大都市では、自分をアピールしなければ誰もわかってくれないものです。そのために英語は欠かせないものでした。生きていくために、英語はそれこそ必死で身に付けなければならないものだったのです。








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